いよいよ中山道の最終日、今日は板橋に住んでいる息子と歩きます。
10時50分に浮間舟渡駅を出発。前回終点の舟渡交差点から日本橋を目指します。新河岸川を越え、清水坂を過ぎると志村の一里塚があります。都内に一里塚は18あるそうですが、現存するのはここと西ヶ原の日光御成道にある2ヵ所だけです。地下鉄元蓮根駅を過ぎると国道17号線と分かれて旧道に入ります。そろそろ板橋宿の始まりです。

本来の中山道は真っ直ぐ進みますが、その先には縁切榎があります。皇女和宮が家茂に降嫁した時は、この縁切榎を避けて「逆コの字」型のコースをとったので、今回も同じ道を歩きました。途中に日曜寺や智清寺があります。

12時30分に板橋に到着、板橋宿本陣跡の石碑がスーパーライフの隣にありました。このスーパーは息子がいつも利用していますが、本陣跡があるとは今まで全く気づかなかったと。
板橋は私が社会人になって初めて勤務した場所。36年前に通った建物が当時の面影を残してありました。板橋駅を過ぎると近藤勇の墓があります。流山で捕らえられた近藤勇はこの地で処刑されました。永倉新八が明治9(1876)年に函館で死んだ土方歳三の供養も兼ねて墓を建てたそうです。

更に進むと庚申塚があります。この辺りから巣鴨地蔵通商店街が始まり多くの人で賑わっています。高岩寺の「洗い観音」には順番を待つお年寄りが長い列を作っていました。巣鴨駅の近くに染井吉野の碑があります。ソメイヨシノは幕末から明治にかけてこの地で生み出された新品種です。
更に進んで東大農学部正門の手前に追分一里塚跡がありました。日光御成
道と中山道の追分で、ここには江戸時代から続く老舗の高崎屋酒店がありました。これからは東大に沿って歩くことになります。途中、「こゝろ」という喫茶店で小休止。更に赤門を通過、東大の敷地は加賀藩上屋敷跡で、この赤門も元は加賀屋敷御守殿門だったもので、重要文化財に指定されています。

本郷三丁目の交差点に来ると、「かねやす」のビルがあります。江戸時代は口中医師(歯科医)で現在は化粧品を商っているようですが、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳にも歌われています。更に進んで湯島聖堂、神田明神を経て昌平橋を渡り、神田駅を過ぎると後は一直線。

16時30分に日本橋の「日本国道路元標」にタッチして中山道の旅を完了しました。
日本橋では、知人や家族の歓迎を受け、大いに感激しました。
夜は仲間と宴会、二次会と楽しい時間を過ごしました。

今回の旅を総括すると以下の通りです。
 @期間  2007年11月23日〜2009年5月23日
 A日数  28日間
 B距離  534km
 C歩数  1,133千歩

「こゝろ」

昌平橋 ゴール 出迎え
時間   場所
10:50 浮間舟渡駅
   
12:30 板橋
 
   
12:45 昼食(三崎丸)
   
13:30 昔の勤務地
   
14:10 高岩寺
   
15:00 休憩(こゝろ)
   
15:50 神田明神
   
16:30 日本橋
 
    
  「稲田屋」で宴会
地下街で二次会
浮間舟渡駅 清水坂 志村の一里塚 縁切榎
板橋 仲宿商店街 板橋本陣跡 昔の勤務場所
近藤勇の墓 庚申塚 巣鴨地蔵通商店街 洗い観音
真性寺六地蔵 染井吉野碑 徳川慶喜屋敷跡 高崎屋酒店
赤門 かねやす 湯島聖堂 神田明神
第28日目 2009.05.23(土)
(浮間舟渡駅)〜板橋宿〜日本橋    16.7km 
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