9日目 2015.04.04(土) 黒磯〜高久〜殺生石 20.4q

宿8:00〜高久家9:00〜温泉神社14:45〜殺生石15:00〜鹿の湯15:30〜帰宅

今日は第一回「奥の細道」旅の最終日、いい出会いがありました。
宿を出て直ぐ那珂川に架かる晩翠橋を渡ります。現在の晩翠橋は昭和7年架橋の5代目ですが、歴史的土木施設として「土木学会推奨土木遺産」に認定されています。
高久の高福寺は高久家の菩提寺で桜が綺麗なお寺。更に進むと「芭蕉二宿の地」の石柱がある高久家に着きました。辺りをうろついていると、この家の当主が野良仕事に出るような格好で出てきました。暫く立ち話をしていたら、家から芭蕉が高久家に残した直筆の懐紙を持って来て見せてくれました。予想していなかった展開に嬉しい限りです。家の脇に芭蕉翁塚があります。元禄2(1689)416日、余瀬を出発して高久に来た芭蕉は名主覚左衛門方に宿泊、翌日も雨のため留まり、18日に那須の殺生石を見ようと湯本へ向かいました。この時は5代目で、覚左衛門の孫が宝暦4年(17548月に「芭蕉庵桃青君碑」を建て芭蕉翁塚としました。「芭蕉懐紙」や「写本曽良日記」を所蔵し、文学史上でも知られた家であるらしい。現在の当主は15代目ですが、気さくで話好きの方でした。

この後、那須街道に合流して湯本を目指しますが、歩道が少ない道で困りました。並木道が続き車で走るには気持良さそうですが、歩くには難儀です。これが13〜14qも続きます。10時過ぎに那須街道に入って昼食も含めて終点の温泉神社に着いたのが15時少し前、4時間半もイヤな道を歩いたことになります。更に少しずつ上りになって、湯本に着くと標高801mと書いてありました。約500m上ったことになります。芭蕉が那須湯本で2泊した和泉屋は現在の旅館「清水屋」の敷地の一部になっているようです。

温泉(ゆぜん)神社は延喜式内社として古い歴史を持つ神社で、「生きる」と命名されたミズナラの御神木が目を引きます。芭蕉一行は温泉神社で那須与一が扇の的で射残した鏑矢1本、征矢10本などを拝したと曾良日記に書かれています。神社の上に殺生石があります。上から見ると賽の河原のようで硫黄の臭いが立ち込めていました。おくのほそ道では『殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す』と記され、「石の香や夏草赤く露あつし」と詠んでいます。殺生石にある千体地蔵は皆大きな手をして不気味でした。

これで本日の予定が済んだので、芭蕉も入ったであろう「鹿の湯」に行きます。千三百年続く癒しの湯で、41度、42度、43度、44度、46度、48度の6つの浴槽があります。41度〜44度までは入りましたが此処まで。46度からは熱過ぎて到底入れません。46度には数人入っていましたが可なり大変そう、48度には誰も居ませんでした。ここでゆっくりとして帰宅の途につきました。

今回ほど天候に恵まれた旅は初めてで毎日楽しく歩けました。芭蕉の行程になるべく近づけた予定を組んでチャレンジしましたが、想定以上にきつかったのも事実です。改めて芭蕉の凄さを実感しました(芭蕉は連続で移動した訳ではなく、黒羽で13泊、高久で2泊していますが)。でも、その分、夜のビールの美味さは格別でした。地酒と酒蔵を訪ねる「酒のより道」も併せて次回以降も楽しもうと思います。

晩翠橋 高福寺 高久家
15代目当主と芭蕉懐紙 懐紙と説明 芭蕉翁塚 清水屋
温泉神社御神木 温泉神社 殺生石 千体地蔵
地蔵 鹿の湯