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8日目 2015.04.03(金) 黒羽〜雲厳寺〜黒磯 34.8q+バス11.7q |
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宿8:00〜雲厳寺8:40〜昼食(糸)11:10〜修験光明寺跡13:30〜玉藻稲荷神社14:30〜鍋掛一里塚17:00〜宿18:40 |
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朝一番のバスで雲厳寺へ。乗客は黒羽高校の生徒のみ、10分程して高校に着くと皆下りて後は一人です。黒羽高校のバス停が校門を入って校舎の前にあるのにはびっくりしました。 雲厳寺は臨済宗妙心寺派の禅寺で、芭蕉が深川の臨川庵で親交のあった仏頂和尚が修行時代に籠った山居跡を見ようと訪ねたもの。朱色の瓜(か)てつ橋から見る山門は荘厳で流石に禅宗の日本四大道場と呼ばれるだけはあります。山門をくぐると正面に仏殿、左側に芭蕉が雲厳寺を訪れた説明板と仏頂和尚の歌、芭蕉の句の碑があります。 いよいよ黒羽を経て黒磯まで歩き始めます。暫く進むと、左股関節や右足甲などに痛みが少し、今日もこの痛みと付き合いながらの歩きになりそうです。11時過ぎに畑の脇に小洒落たカフェ「糸」を見つけました。民家をカフェに使った店で、休憩を兼ねて早目の昼食にしました。味も良く、いい雰囲気の店でした。店名は中島みゆきの「糸」ではなく家のオーナーが「糸子」さんだから。 西教寺にある「かさね・・・」の句碑を見て、篠原玉藻稲荷神社に向かいます。おくのほそ道には『那須の篠原を分けて、玉藻の前の古墳を訪ふ』と記しています。玉藻稲荷神社は玉藻の前(九尾の狐)の神霊を祭る神社で、玉藻の前は謡曲「殺生石」に出てきます。伝説の妖怪・九尾の狐は、宮廷で鳥羽院を殺すことに失敗し、那須野に逃げるが、殺され巨大な毒石に姿を変える、村人はこれを殺生石と名付ける、鎮魂の為に派遣される名僧が毒気で次々と倒れる、源翁和尚の教化で殺生石は3つに割れるが一つ残る、急激に毒気は弱まるが今なお毒を吐き続けている。これが現在那須湯本にある殺生石で、芭蕉は玉藻稲荷神社で殺生石伝説を知り、殺生石を訪ねる決心をしたとも伝えられています。境内には、「秣おふ人を枝折の夏野かな」の芭蕉句碑と「武士の矢並みつくろふ籠手(こて)の上(え)に霰(あられ)たばしる那須の篠原」の源実朝の歌碑があります。 17時に鍋掛の一里塚を通過してもまだ6qも残っています。結局宿へは18時40分到着でした。 |