| 矢上〜日見〜長崎 13.1km |
|
8時15分に矢上神社をスタート、小学校の脇に本陣、脇本陣跡の説明が出ています。長崎自動車学校の所に本陣が、矢上小学校付近に脇本陣があったとのこと。その先に諫早領役屋敷があります。ここは長崎開港に伴い佐賀藩主、諫早藩主、肥後藩主との報告、連絡、紛争、願書処理などが頻繁に発生したために設けられたという。更に番所跡の碑を見て急坂を上ってゆくと高台に「従是北佐嘉領」の領境石がありました。国道を渡ると「腹切坂」の碑があります。熊本細川藩の家臣が日見の豪士つづれ組の高名を聞き剣術の試合を挑んだが、不覚にも敗れてしまった。このことを無念に思った武士は「武士の面目相立ち申さず」といってこの坂あたりで切腹してしまった。村人は哀れに思いこの武士を丁重に葬ったことからここを腹切坂と呼ぶようになったとあります。 細い旧道を進むと上り坂になり、日見継ぎ場跡、歯痛観音を過ぎると更にキツイ急坂となります。長崎自動車道と国道34号を横切ると、国道は日見トンネルに入ります。大正13年に着工、15年に完成した日見トンネルは全長642m、幅員7.4mの当時としては日本最大規模のトンネルで貴重な文化遺産として登録有形文化財となっています。旧道は日見峠の山道に入ります。「西の箱根」と言われた日見峠は長崎街道の難所の一つでした。10時10分に日見峠(標高242m)に到着。急な坂を下って日見峠「新茶屋之跡」碑を過ぎて進むと本河内水源地へ。本河内の墓碑・供養塔群、宝篋印塔の先に史跡一の瀬口蛍茶屋跡があります。文化文政の頃(1804〜1829年)甲斐田市左衛門によって茶屋が始められたところが蛍の名所だったことから蛍茶屋と呼ばれたそうです。一の瀬橋、古橋を渡るとシーボルト通りになり、シーボルト邸跡(国指定史跡)、シーボルト記念館に立ち寄りました。長崎で最初の教会が建設された春徳寺を経て新大工町の入口には、「長崎街道ここに始まる」の碑が立っています。諏訪神社を参拝、「長崎くんち」は諏訪神社の秋季大祭。境内で山車の引き回しがありますが、あまり広くない場所にびっくりです。 13時過ぎに昼食(あごだしラーメン)を摂った後、小曽根邸跡の碑を過ぎると長崎県庁に到着、「イエズス会本部、奉行所西役所、海軍伝習所 跡」の看板を見て長崎街道の旅を終了としました。その後は、県庁地下のレストランで休憩方々、今日羽田を発った妻の到着を待ち、オランダ坂、大浦天主堂、グラバー園を見学してホテルへ。夜は稲佐山で夜景を見た後、新地の中華街で夕食をしました。 長崎街道の旅を纏めると、 @ 期間 2011年10月21日〜2011年11月15日 |