おくのほそ道 北陸旅 1日目 2015.07.01(水)
 新高岡〜埴生八幡〜倶利伽羅峠〜金沢〜小松

北陸新幹線で新高岡駅へ。ここから先ず埴生八幡へ向かいます。木曽義仲が戦勝祈願をしたという神社の境内には義仲の騎馬像がありました。そして倶利伽羅峠へ。寿永2年(1183511日、平維盛(清盛の嫡男重盛の長男)を総大将とする7万の平家軍は倶利伽羅峠山中の猿ヶ馬場に本陣を構え、木曽義仲率いる源氏軍を待ち構えていた。一方、義仲は埴生八幡で戦勝祈願を行った後、夜が更けるのを待って夜半に400500頭の牛の角に松明を付け、4万騎の軍勢とともに平家の陣に突入、慌てた平家軍18千余騎は、源氏軍の奇襲に混乱し、何もできずに追い詰められ、人馬もろとも倶利伽羅峠の谷(地獄谷)に突き落とされた。こうして倶利伽羅峠の戦いは源氏の勝利に終わり、この戦術が「火牛の計」と言われています。

芭蕉は義経と義仲のファンで、おくのほそ道の前半では義経ゆかりの地を訪ね、後半では義仲ゆかりの地を訪ねています。そして自らの墓は生前からの要望で大津の義仲寺(木曽義仲の墓の横)に葬られています。「木曽殿と背中合わせの寒さかな」(又玄)

つづいて金沢へ。芭蕉は俳人小杉一笑に会うのを最大の楽しみに金沢へ行きますが、前年に一笑が亡くなったことを知り大いに嘆き悲しみました。金沢では小杉一笑宅跡(現在はカラオケ屋)や、芭蕉が泊まった宮竹屋跡(芭蕉の辻)、一笑追悼の句会を開いた願念寺などを訪ねました。
更に小松へ。建聖寺で立花北枝作の芭蕉像を手に取って見たり、多太神社では斎藤別当実盛の兜の本物を見たりと貴重な体験をしました。

義仲騎馬像 埴生八幡 倶利伽羅峠 火牛の計
義仲の寝覚の山か月かなし 猿ケ馬場(平家本陣) 立花北枝宅跡(源意庵) 暗がり坂
小杉一笑宅跡 宮竹屋宿跡(芭蕉の辻 凡兆墓(養智院) 宮竹屋宿との説あり
蛤坂 犀川ほとりの句碑
あかあかと日はつれなくも秋の風
成学寺の句碑
あかあかと日はつれなくも秋の風
願念寺の句碑
つかもうごけ我が泣く声も秋の風
一笑塚
本長寺の句碑
春もやゝけしき調ふ月と梅
つば甚 建聖寺 芭蕉像(北枝作) 本折神社の句碑
しほらしき名や小松吹く萩すゝき
多太神社 実盛が兜 斎藤別当実盛公 むざんやな甲の下のきりぎりす あなむざん甲の下のきりぎりす
実盛が兜