40日目 2015.11.05(木) 温海〜大毎、村上市内 35.2q

宿5:45〜道の駅あつみ7:00〜鼠ヶ関8:15〜勝木11:00〜北中(中村)13:30〜大毎13:50〜村上15:00〜宿16:10

今日は、まだ夜が明けきらない6時前にスタート。
芭蕉一行は温海で一旦別れ、芭蕉は馬でそのまま海岸線を行き念珠関を越え、曽良は温海温泉を通って内陸の道を進み、中村(現北中)で合流しています。私は芭蕉の道を歩きます。
7時に道の駅「あつみ」でモーニング・コーヒー&休憩。早田の集落に入ると中学生がたむろしています。一緒に学校に行くの?と聞くとスクールバスを待っていると。どこでもスクールバスを多く見かけます。学校の統廃合で遠くなった生徒をバスで送迎するシステムが出来上がっているようです。

8時過ぎに鼠ヶ関に到着。史跡念珠関跡の入口に「勧進帳の本家」とありました。勧進帳の舞台は安宅の関ですが、義経記の念珠関通過の段には、
『岩船を通りて、瀬波と云ふ所に、左胡■(竹+録)、右靱、せんが桟などと云ふ名所々々を通り給ひて、念珠の関守厳しくて通るべき様も名ければ、「如何せん」と仰せられければ、武蔵坊申しけるは、「多くの難所を遁れて、是までおはしましたれば、今は何事か候べき。さりながら用心はせめ」と、判官をば下種山伏に作りなし、二挺の笈を嵩高に持たせ奉り、弁慶大の■(しもと:木+垂)杖に〔突き〕、「歩めや法師」とて、しとど打ちて行きければ、関守共是を見て、「何事の咎にて、それ程に苛み給ふ」と申しければ、弁慶答へけるは、「〔是は〕熊野の山伏にて候が、是に候山伏は、子々相伝の者にて候が、彼奴を失うて候ひつるに、此程見つけて候間、如何なる咎をも当ててくれうず候。誰か咎め給ふべき」とて、いよいよ隙なく打ちてぞ通りける。関守共是を見て、難なく木戸を開けてぞ通しける。程なく出羽國へ入り給ふ。』
とあり、正に勧進帳を思わせる描写です。こんな所から勧進帳の本家と主張しているようです。

県境を越え暫く進むと製塩所が目に入ります。そのうちの一軒に入り、塩の作り方を説明してもらいました。@塩分濃度3%の海水を24%まで煮詰める。A不純物を沈殿させる。B上澄み液を煮詰めると塩になる。この夏、能登半島を一周した時も製塩所が多くありました。
府屋を過ぎると府屋第一トンネルがあります。歩道が狭いのでこれを避け、旧道を行きましたが、こちらの短いトンネルは通行止め、仕方なく戻り、第一トンネルを行きました(トラックが来ると怖い)。

13時半に北中に到着、芭蕉公園に寄って大毎まで歩きました。予定通り14時のバスに乗って村上へ。
村上では芭蕉が2泊した井筒屋に泊まります。一日一組限定で営業しており、私も2泊することにしました。その前に酒蔵2軒と芭蕉も参詣した浄念寺(旧泰叟寺)を訪ねました。途中のまいづる公園には幾つかの武家屋敷が保存されています。
夕食は地元で人気の「千渡里」。村上限定の大洋盛・紫雲と〆張鶴は燗で頂きました。〆はお馴染みさんに教わった裏メニューの納豆ごはんです。

穏やかな海 勧進帳本家 念珠関跡 念珠の松 県境
製塩所 工程 面白い標識 旧道のトンネル ここを進む
北中(中村) 芭蕉公園
さはらねば汲まれぬ月の清水かな
 39 宮尾酒造(〆張鶴)
   文政2年(1819)創業
旧岩間家 旧嵩岡家 浄念寺  40 大洋酒造(大洋盛)
 昭和20年(1945)14社合併
試飲しました
千渡里 〆ごはん 井筒屋