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コンビニで昼のおにぎりを買ってスタート、先ず、燧ケ城址(270m)を登ります。「源平盛衰記」や「太平記」に度々登場、戦国時代にも一向一揆の拠点になるなど数世紀にわたり戦略上の重要な拠点として利用された城。結構急な道を登って頂上に着くと今庄宿が一望出来ます。下って今庄宿の南の外れには「文政の道しるべ」。北陸道(京・敦賀・若狭)と北國街道(京・伊勢・江戸)の追分の道しるべ。石柱には「右京 つるが・わかさ道」「左京 いせ・江戸道」と刻まれています。
北國街道を進み、二ツ屋宿跡を過ぎて長いアプローチを進むとスキー場にぶつかります。ここを横切りながら登っていくと、言奈地蔵があります。その先が木ノ芽峠。石畳を登りきると茅葺の民家が現れます。1466年から代々、木ノ芽峠の茶屋番兼関所役を勤めている前川家です。大型犬が4匹(ノーリード3匹)いて少し怖い感じもしましたが、オヤジさんを呼んで家の中に入れてもらいました。500年前からの家で数年前に解体・補修工事をしたとのこと。家の前に平重盛の墓があるので聞くと、前川家は平重盛から50代続く家柄だとか。又、道元禅師の立派な碑があります。これは永平寺が建立したもので、永平寺で修行を終えた僧達は先ず最初にここに来てお参りをする習いになっていると。(道元禅師は木ノ芽峠を越えて永平寺に行ったことからでしょうか。)
オヤジさんが昨日の朝7時頃、家の前の杉の木の上7,8mに熊がいたと言い出しました。犬が吠えたが俊敏な動きで逃げたそうです。クワバラクワバラ。これで犬が放し飼いされている訳が分りました。熊が出たら杖は捨てる、下だけでなく上にも注意しながら歩くなど注意をされて峠を下りました。
1時間ほどして新保の集落に行くと天狗党の武田耕雲斎の本陣跡がありました。元治元年12月11日、水戸烈士820名余りはここ新保に宿営、耕雲斎はここで起居したとのこと。
16時前に気比神宮に到着、お参りしたあと境内を散策しました。
芭蕉像と「月清し遊行のもてる砂の上」の句碑、その脇に初案の「なみだしくや遊行のもてる砂の露」、又、芭蕉翁月五句として「国々の八景更に気比の月」「月清し遊行のもてる砂の上」「ふるき名の角鹿や恋し秋の月」「月いつく鐘は沈る海の底」「名月や北國日和定なき」が巨大な自然石に刻まれていました。
この3日間で歩いた行程がおくのほそ道では3行で表現されています。
「やうやう白根が岳隠れて、比那が嵩現る。あさむづの橋を渡りて、玉江の蘆は穂に出でにけり。鶯の関を過ぎて、湯尾峠を越ゆれば、燧が城、帰山に初雁を聞きて、十四日の夕暮れ、敦賀の津に宿を求む。」
今日からお世話になる宿は、敦賀の廻船問屋?田保玄流宅。下斗米等栽も同宿しました。初日は家で男料理。鮑・えびの刺身、ハタハタの焼き、敦賀のソースカツ、おこぜの汁物、そら豆、サラダなど豪快に頂きました。
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