| 中の原二丁目〜木屋瀬〜飯塚 28.5km |
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7時半にホテルを出発、昨日終点の中の原二丁目からスタートです。天気は曇りで所々に晴れ間も。小嶺台二丁目から旧道に入ると立場茶屋銀杏屋があります。黒崎宿と木屋瀬宿の間の「立場茶屋」として、参勤交代の諸大名をはじめ長崎奉行、巡見使などが休憩したところ。10時開館ですがまだ8時20分だったので外から見ただけで先を行きます。直ぐに石坂の急坂です、ここは黒崎宿と木屋瀬宿の間の難所で、現在は急な階段が続いていました。8時50分に茶屋の原(はる)の一里塚を通過(この辺りでは原を「はる」と言います。) 9時過ぎに木屋瀬宿に入りました。旧宿場町らしい雰囲気が漂う落ち着いた街並みです。永源寺には木屋瀬宿本陣の門が残っていました。9時30分に木屋瀬宿記念館(旧御茶屋跡)を見学、更に問屋場跡(野口家)、船庄屋跡(梅本家)、旧高崎家住宅(伊馬春部生家)、村庄屋跡(松尾家)など旧家を見ながら進みます。特に旧高崎家住宅は天保6年(1835年)の建築で江戸時代末期の代表的な宿場建築、ボランティアの方が丁寧に説明してくれました。この頃から雨が降ってきました。西構口跡の石垣、追分道標「従是右赤間道・左飯塚道」を見て木屋瀬をあとに遠賀川沿いの道に出ました。ところが車の往来が激しい歩道のない道で風雨の中、傘をさしながらの歩きで難渋しました。河原の道を探しますが草が高くてわかりません。仕方なくトラックが来ると立ち止まり立ち止まりしながら慎重に進みます。筑豊電鉄の陸橋を越えたところで漸く河原沿いの道に入りやっと一安心、日の出大橋で遠賀川を渡り、直方に入りました。 直方の古町商店街を抜け、直方西構え口跡、直方谷尾美術館(旧奥野医院 近代化産業遺産)、旧篠原邸(大正4年建築)などを見ながら先を進みます。そろそろ食事時、次の勝野駅近くに何かあるだろうと思っていくと、駅は畑の中にぽつんとあるだけで周りは何もありません。仕方ないので先を急ぎ、国道に合流して13時過ぎにやっと見つけたコンビニで弁当を買い食べました。14時45分に旧伊藤伝右衛門邸に到着、見学しました。伊藤伝右衛門は筑豊の炭鉱王で本邸は旧長崎街道に面し、四つの居住棟と三つの土蔵を持ち、広大な回遊式庭園を持つ屋敷です。土蔵の一つでは、世界記憶遺産に登録された山本作兵衛のヤマの絵画13点の原画が展示されていて中々見応えがありました。 更に進んで、16時にケンペルやシーボルトが泊まったオランダ屋敷跡を通過、飯塚の氏神である納祖八幡宮を過ぎるとアーケード街に入ってきます。アーケードには長崎街道宿場祭の幟が立っていました。16時20分に明正寺に到着、寺の脇には勢屯り(せいだまり)の石柱があり、そこに明正寺には享保14年(1729)に八代将軍吉宗に献上された象が飯塚宿を通った記録があると書かれています。 夜は居酒屋「趣肴や」で一杯。若い主人は飯塚山笠のメンバーらしく店内に写真が飾ってありました。(飯塚山笠:享保年間に始まったと言われ、復活40年以上の歴史がある) |