|
7時半にホテルを出発、長閑な田圃道を歩きます。空にはヒバリが鳴いて何とも気持がいい。 国道から分かれて旧道に入って少し行くと、畑の中に有年(うね)宿本陣跡の標柱と明治天皇駐輦記念碑が建っていました。更に進むと有年宿番所跡があります。片山集落には立派な長屋門の有年(ありとし)家がありました。有年家はこの地で大庄屋を務めた家柄で主屋と一体となって赤穂藩の庄屋の屋敷構えを残す貴重な文化財です。更に行くと「大避神社」と「須賀神社」という二つの神社が並んで建っています。同じ境内に2つの神社は珍しい。更に「西有年向山の五輪塔」、「西有年宝篋印塔」、「一里塚跡」の標柱を過ぎると、道にゲートがあり有年峠を越える道は行き止まり。今は誰も通らないので道がなくなっている所もあると。仕方ないので国道2号線で迂回することにしました。 梨が原地区を過ぎていよいよ船坂峠を越えます。2号線から分かれて山道に入り安心して歩けます。船坂峠には兵庫県・岡山県の県境の石碑が建っており、その先に「船坂峠義挙の碑」がありました。南北朝時代、武将児島高徳は、隠岐に流される後醍醐天皇を助け出そうとして、船坂山で待ち伏せたが目的が果たせず、桜の木に後醍醐天皇への言葉を刻んだ。「天勾践(てんこうせん)を空しゅうする莫れ(なかれ)、時に范螽(はんれい)無きにしも非ず」(中国の越の王・勾践のように、忠臣の范螽が助けることもある) 14時前に三石駅に到着、本日は三石泊まりなので町内をゆっくり散策して15時過ぎに旅館に入りました。三石は煉瓦の町で煉瓦作りの煙突が多く見られます。三石神社は今から一千有余年の昔、神功皇后がご懐妊の御身で当地お立ち寄りの際、この社にある大きな岩の上でご休息になり、それ以来境内の岩や石は皆白い小石を孕んでいるようになったと伝えられています。 本日の宿は四列屋旅館という100年以上続く老舗旅館、名前の謂れは、宿の前にある山陽本線の下を通る煉瓦のアーチ橋が四列になっているところから付けたとのこと。そもそもは明治44年に完成したこのアーチ橋を作る時に作業員の宿泊所として始めたのが最初だと。夕食後、宿の主と談笑。色々と歴史の話をしているうちに、閑谷(しずたに)学校へ行くことを強く勧められました。一度は行ってみたいと思っていたので、山陽道から外れるが予定を変更して閑谷学校に行く事にしました。しかし、三石からは山を越えていくことになり、山道を歩くことになります。この時はまだ翌日のハプニングは知る由もありません |
| 時間 | 場所 |
| 7:30 | ホテル出発 |
| 8:30 | 天満神社 |
| 10:10 | 有年宿本陣 |
| 10:30 | 有年家 |
| 13:00 | 船坂峠 |
| 14:00 | 三石 |
| 三石神社 | |
| 15:00 | 旅館着 |
| 相生駅〜有年(うね)〜三石 21.6km GPS27.4km |