喜作
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7時40分出発、友待橋を渡って8時20分に飢坂(かつえさか)を登ります。飢坂は江戸時代、飢饉の時にここで多くの人が飢えて力尽きて亡くなったことからこの地名になったと伝えています。坂の上には静かな池がありました。峠を降りるとシャープの大きな工場があり、通勤の人が工場に吸い込まれていきます。この近くの清水川神社の参道を上っていく途中婦人とすれ違います。神社に行くと境内は綺麗に掃き清められていました。ここの創建は文明18年(1488)以前、神社北側の道は旧山陽道で参勤交代等で賑わっていたが、神社の神殿が北側に向いていたため、この前を馬で通るとどんな偉い人でも必ず落馬したという。そのため神殿を西の方角に向けなおしたらそのようなことはなくなったということが説明されていました。 八本松駅を過ぎて大山峠を登ります。この道も通る人がいないらしく荒れていて、油断すると蜘蛛の巣に引っかかります。長めの枝をくるくる回して蜘蛛の巣を避けながら進みます。途中、市の職員らしい二人連れが道をチェックしていました。12時過ぎに瀬野駅近くで唯一の食堂「喜作」で昼食。 13時50分に「旧山陽道中野砂走り出迎えの松」碑に到着、これは、参勤交代の責を終えた安芸国の藩主を家来や村の有力者がこの松のあたりまで出迎えたことに由来しているとのことです。気持ちの良いところなのでここで暫く休憩です。14時40分に海田宿の熊野神社を参拝、御茶屋跡(本陣)、脇本陣跡の案内表示を経て、旧家千葉住宅を見て海田宿を後にしました。 16時過ぎに広島市内に入り、16時半に「猿猴橋」に到着。「猿猴」とは広島地方でサルに似た河童のような想像上の怪物のことをいい、洪水の度に人々を川に引きずり込む猿猴が住むとして川や橋の名前に使われたとのこと。この付近から原爆慰霊碑や関連の碑が見られるようになりました。本陣としては城下町なので御茶屋と呼ばれるものが現在の鯉城会館(県民センター)近くにあったとのことで、ここを終点としました。 夜はホテル近くのオバサン一人でやっている小さな飲み屋「酔幸」で一杯。 |


酔幸
| 西条宿〜海田宿〜広島宿 27.6km |
| 時間 | 場所 |
| 07:40 | 出発 |
| 08:20 | 飢坂 |
| 09:40 | 大山峠 |
| 12:20 | 喜作で昼食 |
| 13:30 | 出迎えの松 |
| 14:40 | 海田宿 |
| 16:30 | 猿猴橋 |
| 17:10 | 広島宿本陣 (鯉城会館) |
| 18:30 | 酔幸で一杯 |