四国遍路54日目 2014.03.31(月) 32.7km
          
(徒歩32.0km 、ケーブル0.7km)

宿6:5083番一宮寺7:00→法然寺8:00→屋島の御加持水11:50→食わずの梨12:0084番屋島寺12:20→洲崎寺14:1085番八栗寺15:10→六萬寺16:00→地蔵寺17:20→宿17:30

朝一番に讃岐一ノ宮である田村神社を参拝してから、この別当寺であった83番一宮寺に向かいます、こじんまりとしたお寺でした。続いて番外法然寺へ、高松藩主松平頼重が松平家の菩提寺として復興した寺で五重塔が美しい立派な寺でした。ここから春日川沿いの河川敷を10㎞ほど北上すると源平合戦の舞台、屋島が見えてきます。
寿永2年(1183)、都落ちした平氏は九州に敗走した後に屋島に拠点を移し瀬戸内海の制海権を握ろうとします。元暦2年(11852月、風雨に乗じて摂津国渡辺を出帆した源義経は阿波勝浦に上陸、大阪峠を越えて讃岐に入り、背後から一気に平氏を急襲して勝利します。平氏は一旦志度に退きますが、更に海上を長門へ逃れます。これが屋島の合戦で、那須与一の「扇の的」や義経の「弓流し」の逸話が生まれています。

屋島寺へは遍路道は地元の人のハイキングコースになっています。途中、番外の屋島の御加持水や食わずの梨があります。食わずの梨は弘法大師が梨の実を所望したところ、「この梨は食べられない」と断られ、その後その梨の木の実は食べられなくなったという伝説の霊場です。84番屋島寺の本堂は入母屋造り、鎌倉時代末期の建築でご本尊の十一面観世音菩薩と共に重要文化財。宝物殿には源平合戦の遺品を展示、ボロボロになった源氏の白旗もありました。又境内では蓑山大明神の狸が愛嬌を振り撒いています。

屋島から瀬戸内海や源平古戦場の展望を楽しんだ後は急坂の遍路道を下り牟礼町へ。洲崎寺へ行く途中に安徳天皇社がありました。寿永2年、平宗盛は、安徳天皇を奉じて一の谷から屋島に来ました。こは、壇の浦の入江にのぞみ、後ろに険しい屋島の峰、東に八栗の山をひかえ、戦には地の利を得たところであったので宗盛は、行宮(あんぐう)を建て将士の陣営をつくりました。安徳天皇社のあたりが行宮跡であったといわれています。番外洲崎寺には江戸時代に遍路道の案内書「四国辺路道指南」を著し遍路の父といわれる真念の墓があります。この後はうどん本陣山田家で遅めの昼食、時間が押し迫ってきたので次の八栗寺へはケーブルカーを利用しました。

85番八栗寺は弘法大師開基で、五剣山を背景に建つ本堂の脇には歓喜天を祀る聖天堂がありました。八栗寺から下ってくると、義経が平氏の陣を眺めて戦略を練ったといわれる源氏ケ峰があり、その先に番外六萬寺があります。六萬寺は安徳天皇の仮の行在所にもなった寺です。さらに歩を進めて志度へ。平賀源内生誕の地で、平賀源内旧邸も遍路道沿いにありました。エレキテルを持った源内の銅像が立っています。志度寺の奥ノ院とされる番外地蔵寺は17時を過ぎていたので閉まっていました。今日はここまでにして86番志度寺に近い宿へ。

田村神社 83番一宮寺 本堂 大師堂
番外 法然寺 本堂 書院 五重塔 屋島
番外 屋島の御加持水 番外 食わずの梨 84番屋島寺 本堂(重文) 大師堂
蓑山大明神 宝物殿 瀬戸内海 源平古戦場 安徳天皇社
番外 洲崎寺 真念の墓 本陣山田家 85番八栗寺本堂 大師堂
聖天堂 源氏ケ峰 番外 六萬寺 平賀源内旧邸
源内の銅像 番外 地蔵寺